楽しいは自分の内側にしかない(2025/1/7)
☑寝起きに気をつけること
☑誰かに共感してほしいことを自分自身に話しかける、友達に持っていてほしい要素(自分自身の中で好きなところ)を自分自身に語りかける、「友達がほしい」と思う時ほど聞いてほしいことを自分に話す、くだらなくたって何でもいいから語り口調で書く
☑人生でやり残したこと、これからやらなきゃいけないこと、2025年の展望
※このブログでは、自分の中の女性性のことを「姫」、自分の中の男性性のことを「王子」と呼んでいます。
寝起きに気をつけること
・寒い、暑い、お腹減った、トイレ行きたいなど体からの欲求に左右されることに対して大きな絶望を感じやすいタイミングなので、とにかく暖房をつけたりご飯を食べたりトイレに行ったり体を心地よくすることに専念する
・思考に左右されることに対して大きな絶望を感じやすいタイミングであることを理解する
誰かに共感してほしいことを自分自身に話しかける
友達に持っていてほしい要素(自分自身の中で好きなところ)を自分自身に語りかける
「友達がほしい」と思う時ほど聞いてほしいことを自分に話す
くだらなくたって何でもいいから語り口調で書く
※時折自分とは別の人に話しかけてしまうことがあるけど、それだと満足できないのでちゃんと自分(心の中の相方)に話しかけるようにする
※別の人に話しかけてる時は、相手に面白おかしく伝えるために、リアクションを取りやすくするために、自分の本心を捏造してる可能性が高いので、そもそもその話題を話したいのかをよーくよーく話し合う
※自分の心に嘘ついてる時は心の相方は一切反応してくれない
※常に「自分のためであること」「自分が楽しめること」を選択する!(「やった方がいい気がすること」という基準で選ばない!)
※心の相方と会話している時間を「何もしてない時間」「無駄な時間」「他のことしなきゃダメ!」って思うのをやめる(ただ、1月7日時点では、1時間ならいいけどこれで1日終わるのは不安がある)
※何かが上手くいった時は必ず「自分の内側の心の相方と会話してたから上手くいったんだよね!」って心の相方に言う
※🎾でも、🎾以外でも、自分がやりたいことをやる!中学の時に数学の勉強で人生のモチベーションを上げて他の教科の底上げをしたことを思い出す!
あー、なんかさ、「人といても大してつまんねーな」ってのはもう何回も話してるけどさ、やっぱり心のどこかで「人と一緒にいる時間を楽しめないのは自分の性格のせい」って意識があるっぽいっすわ
まぁそういう意識も自分の中にあるものだからさ、「くそやろー!!」とは言えないんだけど、そういう考え持ってても幸せにはならんよなーって話なんだよな
だってさ、つまんねーもんはつまんねーもん
それな
つまんねーもんはつまんねーし、性格のこういう部分って変わらないところだからさ、変えるってのは結局自分に嘘をつくことなんだよな そんなの幸せになんかなれない
気づいたけど、人と一緒にいる時間で自分の心の穴を埋めよう、外の出来事で楽しもうってするから、楽しめない自分を責めるんじゃね? 楽しめる時間は人と一緒にいる時間やテレビやエンタメを堪能する時間・だからその時間を楽しめない自分の性格のせいで人生が楽しくない、もっと人生を楽しめるような性格になれよ!!って
なんか納得。でも、「楽しい」ってたぶん、自分の内側にしかないんだよな。
あとさ、昨日自分と2時間45分お話しした時ちょっと「結構話しちゃったな」「話しすぎでは?」みたいな罪悪感があったんだけど、知らない人と3時間練習したり、3時間無駄話して何にも得られない飲み会に参加したり、往復4時間かけて練習4時間してシャワーを譲り合いながら30分やって他人が決めた時間にバタバタしながら帰る支度して「何も楽しくありませんでした」みたいな会に参加するのは罪悪感感じないくせに、「めちゃくちゃ楽しかったわー!」「ていうかスッキリしたわー!」って思える自分との会話2時間45分に「長すぎ、もうそろそろやめない?こんなに時間使って大丈夫?」って思うの、本当さ、地球だよねーww
母親と2時間半ぶっ通しで何か1つの競技するのが普通に楽しめるのになぜ他の人との時間が楽しめないのか?楽しむ方法はあるんじゃないか?みたいなところもあるんだろうけどね…
まぁでもさ、「愛を外側に求めない」ってずっと言われ続けたけど、内側で放出する方法がやっと少しずつ見えてきた気がする感じだよね。3年くらいかかったけど
👨にイラつく理由、フォームのこととか言われてさ、わかってるけど「そんな簡単に直んねーよ!」って思う。「直したい」って心の底から思えない限り直らない、けど今私の中で直さなきゃいけない理由がない、今の状態では「👨のために」「👨に言われたから直す」ってなっちゃう。そんなのできない!嫌!ってなってるよね、私の内側で。
★★★
・いろんな人に打ち方のことでいろんな指摘をされるけど、私の内側は別に直したいと思ってないから直らない
・もちろん「直さなきゃ」って意識がないわけじゃない。でも「直したいと思ってない」ってことは、今直そうとしたところで「他人のために直す」になってしまって、そんなのいつまで経っても直らない
・結局のところ、指摘されることによって自由にラケットが振れなくなるのが嫌。でも別に自分を変えようとは思ってない。じゃあどうする?
★★★
ていうかこれこそ私がスポーツ続かなかった理由じゃね? 競技は好きだし体動かしたいし試合も出て自分を(自分の内側を)成長させていきたい。でも自分の成長させていきたいところとは別のところを指摘されるのが嫌! そして直らないから永遠に指摘されて永遠に嫌な思いをするから辞めるという…
「直したくない」というよりも「直すための努力をしたくない、自然と直るのを待ちたい、もっと他のところに注力したい」ってことだろうな。
いずれにしても、今の状態だと「○○さんに言われたから仕方なく直す」でしかないんだよ。
「自分の成長させていきたいところとは別のところを指摘されるからつまらない」ってところにもっとフォーカスしないとかな。「つまんねー」「これだからつまんねー」ってところを、もっと正直に放出してみてよ。
今までの練習もさ、自分がやりたいことじゃなくて人に指摘されたところをやってたからつまんなかったんだね…。
★★★
・人に指摘されたという理由で自分が本来やりたかった練習を諦めて他の練習をするからつまらなくなってる
・他の人に指摘された時は「あーこういうこと言われると気になるからつまんなくなるんだよなぁ」って気持ちを正直に感じて、実際は自分がやりたい練習をやるようにしよう
★★★
なんか、こうやって決めたら、ちょっと楽しめそうじゃない?1人打ちとか特に
ほんとそれ、フォアの練習とか封じられてたけど、苦手なショットだけじゃなくて得意なショットも好きなだけ打っていいって思ったら、すごい楽しみになってきたわ
上手くなったら1人打ちも幅が広がって楽しくなるだろうって思ってたけど、普段人に言われた練習しかしない、何なら楽しいって思うかとか聞いてくれない、楽しい練習してくれない人に「上手くなったら楽しい練習してくれるはず」なんて思えなくて当然。だから上手くなるメリットなんかなかったんだよ
でもさ、「上手くならないと、今まで練習でバカにしてきた人たちにバカにされたまんまだよ!!」って自分の思考に言われたわ
あー、わかる。そういう意識で今まで練習してたよね私って
こんな意識じゃ練習もレッスンも楽しめなくて当然だよね
どう思う?この意識
また地球だわwって感じではあるんだけど、上手く言い返すことはできない
言い返さなくてもいいんじゃね?まぁ、「スッキリしない」って意味なら、なんかわかるわ
ていうかそもそも大事なのってその考えが正しいか正しくないかじゃなくてこの考えによって私がこの1年間どれだけ苦しんできたかじゃない?
たしかに
やりたい練習ができない、苦手なことをずーっとやってるのにいろんな人に同じことばかり言われる、そしてまたやりたい練習ができない!
「バックハンド全般が楽しくないからってフォアだけやってていいの?🎾の半分かそれ以上から逃げるの?」って言われてるわ。これこそ本当に言い返せない。これは本当にその通りな気がする。
まずさぁもうこんな水の差され方したらめちゃくちゃ萎えない?なんかもう悲しいんだけど。「楽しくやるぞー!」ってやってんのにさぁ。
確かに「バックハンドを打ちたくありません、拒否します」はよくない、楽しめないとは思うけどさ、バックよりフォアが好きで楽しい、今はバック楽しめないってのは正直になってよくない?レッスンじゃないし人と一緒にやるわけでもないんだから1人の時くらい楽しいこと優先してよくない?
ありがとう…
ここで一旦就寝
「バックハンドが全然楽しくなかった」ってことに気づいてしまって、1人打ちへの気持ちがなくなってしまったので今日はまた心の相方と対話
バックハンドが打てないから楽しくないんじゃなくて、バックハンドを使って自分を責めるから楽しくなくなって全然おかしな動きになって、打てないんじゃね?
もうたぶん初めて打った時から責めてたからってことか。
いや、もちろん元々自分に責める意識があってそれに気づかせるためではあるんだけど、たぶんバックハンドを指摘された回数があまりにも多すぎて、その記憶を使ってバックハンドが嫌になってる。バックハンドが全然ダメって指摘される・練習しろって言われる→(もうこの時点でちょっとバックハンド嫌いになってる)→練習する→またバックハンドが全然ダメって指摘される・練習しろって言われる→(練習したのになんでってなる)→練習する→またまたバックハンドが全然ダメって指摘される・練習しろって言われる→(他人からの指摘を利用して私のこと否定するし、練習中も自己否定してくるし、仕舞には自分を責めない楽しい練習をどんどん排除するし、私が楽しめるためじゃなくて他人のための練習ばっかりだし、こんなんだったらもう嫌!上手くなるのなんてやめてやる!)
あとさ、心の相方と会話している時間を「何もしてない時間」「無駄な時間」「他のことしなきゃダメ!」って思ってるね。こんなに重要な時間はないのに、1時間ならいいけどこれで1日終わるのは不安がある。
人生というか生活を楽しめてない理由、自分のためのこととか自分が今やりたいこととか今楽しめることじゃなくて、まだまだやった方がいいことばっかり考えてるからだったわ。
本当にちゃんと自分になるのって、まだまだ先が長いんだな。心の相方を見つけてもまだ全然自分になれてないわ。
少しずつ頑張っていこうぜ。心の相方に出会えたことでやっっっっっと兆しが見えたわけだし。
で、今何やりたい?
ちゃんと毎秒毎秒、自分のためであることをちゃんと選択できるように特訓したい
YouTubeで検索したりググったらピンとこないしなんかモヤモヤしたしたけどあれか!Kindle本読みたいのか
Kindle本を一瞬開いたら自分と繋がってKindle本読んでないけど対話が進んだわww
とりあえず私はさ、上手くいかない物事から逃げたいわけじゃないけど、かと言ってきつい努力をしたり楽しいことを排除して何かを成し遂げたり勝ったり地位と名誉を得たいわけじゃないんだよなーって
上手くなるのも、試合で勝つのも、楽に勝ちたい。なんてったって無理して努力したって「でもここがダメだった」ってなったり、納得しないしスッキリしないから。
👨みたいに苦手を潰さなきゃ、絶対勝つぞって自分に厳しく他人にも厳しく練習するなんて嫌だし、かと言って試合に勝てないことの言い訳ばかりするような人間にもなりたくない。
👨は努力でここまで登り詰めた人で、それはそれで尊敬できるけど、もう私は本当に楽しんでやったこと以外は全然上手くいかないような体質になってしまったんだよ。
でも、今何かを成し遂げたとしても、傍から見たら👨みたいに「頑張って努力したから成し遂げられた」って思われそうで、でも私の内側的にそれは納得できないと思う。そんなんじゃねーし、そんな時代じゃねーし、私もう楽しくないこと全然やらないって決めたんだから楽しくないことやらせないでよね!と。
でも、「楽しんだ結果に成功がある」なんて誰も信じられないと思う。だって、地球人からしたら「楽しい瞬間は苦手なこと(ネガティブな感情を感じるもの)から逃避できた時」だから、楽しいと上達は対局にいると思ってて、上達したってことは、心を無下にして努力を重ねたんだろうなぁ…って思われると思う。
でも私からしたら、ネガティブな感情を感じるものから逃避することも、心を無下にして努力を重ねることも、本当の自分からどんどん離れているという点ではまったく同じで、「本当はそんなところに真実はないよ」って言いたいんだけど地球人に理解するのは無理だと思う、でも勝手に解釈されるのは嫌。
だから何かが上手くいった時は必ず「自分の内側の心の相方と会話してたから上手くいったんだよね!」ってちゃんと心の相方に言う!
そういえばさ、何かを上手く成し遂げられたのに、理解してくれる人がいなかったり「この人たちがこんなに理解してくれてないとは思わなかった」って思うってすごくショックを受けたこと、たぶんあったんだよね。私だけは理解しているから大丈夫だよ!伸び伸びとやっておいで!ってことを証明してあげられたらたぶんすごい安心するんじゃないかな?
そういえば、社会人1年目の5月にある資格を取れって言われて同期の女子で私だけが受かった時にさ、高校私立に行けるくらい裕福な家庭で生まれた子に「私は高校受験も大学受験もこうだった」「大学で○○を専攻してたから今回この資格取れなかったんだよ」ってすごい悲劇のヒロインぶって言われたり、大学の研究室で「私はこんなに努力してるのに成果を評価してくれない」ってよく寝坊するのに一番成果出してた私に嫌味っぽく言われたけど、その時もまったく同じこと思ってた!なんか別に血の滲むような努力はしてないけどさ、「自分の本心に従う」って、人の目やアドバイスを全部無視して、本当に正しいことを選択するために自分を整えて、多少なりとも勇気を出して行動してるのに、親に金出してもらって親の言われた通りにしかやらない人に言われたくない!!って思ってたなぁ…って。人のこと理解しようともしないで悲劇のヒロインぶられたこともムカつくし、全然私の本質を見ないで勝手に決めつけられたことも悲しかったのを思い出したわ。
で、たぶんその記憶があったから、そのショックをまた味わいたくない、みんなと同じように生きる!っていう思考があったことを今自分から出してくれたけど、「人の言っていることから外れると、たとえそれが自分の中で大正解だったとしても、そして成果は得られたとしても、他者は私のことを勝手に決めつけて、勘違いして、どんどんどんどん私への理解がなくなって寂しい」っていう意識もあったよね。だから楽しさを排除してでも人からの指摘を無視できなかったし、それと同時に上手くなることも諦めた。「簡単に何かを成し遂げると人は私のことを違うように理解する、寂しくなる」って。だからこそこの「自分の内側の心の相方と会話してたから上手くいったんだよね!」っていう声掛けがすごく大事なんだなーと。
上手くいってることって野放しにしがちだけど、これからは上手くいったことに関することでも自分の中の対話を大事にしないとダメだね。私が他人に自慢話だったり考え方が大人な点を妄想してきたのもそれが原因だったのか、と。簡単に成功すればするほど、地球人からしたら不思議でならないから、どんどん本当の私を置いてけぼりにして勝手に話を進めていくんだよね…。
でも、私の中の「わかってほしい」は、ちゃんと心の相方に伝えないとダメだ。
FXのこととかもさ、本当周りからしたら奇跡みたいな感じなんだろうなー。こんなんで稼げんのかよって思うと思う。でもあれもこれも全部他人の話じゃなくて自分と繋がったからなんだよね。
「こんなんで稼げるわけない、これは危険」って言われてたものを自分で「ほんとにそうかな?」って考えて、「違うんじゃね?」って思ったから始めた。
中学の時、数学で100点を取ったら誰かから「きもい」と言われても自分で自分のことを「天才だ」「最強だ」と思えてたし、塾の先生に恵まれていたとはいえ数学以外の勉強を気が向いた時にしかやらなかったから、いつまでも数学で100点を取ったり偏差値70をキープできたり、全教科の平均でも偏差値60を優に超えて、本番当日は全教科平均で偏差値66の学校に入れる点数を叩き出したことを思い出した。
そう思うと、🎾界ってかなーーーーーり意識が古いというか、地球だな。
中学生の時、学校はかなり意識が地球だったけど、塾は、塾長が数学担当で私が数学得意だから難しい問題たくさん出して可愛がってくれたのもあるけど、他の先生も含めてみんな「もっと他の教科勉強しなさい!!」なんて誰も言わなかったし、私も今日何を勉強するかはすべて気の向いたものをやるようにしてた。
🎾界の意識に飲みこまれちゃダメだ。
今日Kindle本を整理したくなって、ついでにいろいろ見てたら、2年前に「新しい地球の歩き方」っていう本を買ってたんだけど、そこに書いてある2022年~2025年に起こることが、まさに今最後の1年で滑り込みで私の中でも起きてるんだけど、私がずっと手放したかったものって「コントロールされている世界」なんだよね。学校でも会社でも、「コントロールされている感」を感じたら猛烈に反発してたけど、結局今も、遠回しにコントロールされかかってるんだよね…
「聞いてないのにアドバイスしてくる」「聞いてないのに今の実力を教える」ってのもコントロールだし、そしてなぜか、「手取り足取り丁寧に教えてコントロールしてくれることが正義」みたいになっている業界でもある…
むしろこっちから進んで「ここ教えてください」って言ったのに拒否するみたいな人もいると思うし。そんなのもできないの?って言っちゃったりとか、自分で考えろって言っちゃったりとか
年齢を重ねた選手に平気で「賞味期限切れ」とか言っちゃうし
👨がこの意識に染まってることも月曜日にわかってだいぶ落胆 「あいつ大したことないな」って言えちゃうところ、「こんなのもわかんないの?」って言えちゃうところ、だいぶ無理。
でもやっと、他者に遠慮しないで思う存分生きていいらしい。
じゃあ、自分はこれからどうしたいの?を、もっと毎日毎日、ちゃんと向き合わないと。
人生でやり残したこと、これからやらなきゃいけないこと、2025年の展望
①引き続き親をはじめいろんな人に気を遣わない、自分がやりたいことを優先する、相手がやってほしいことを先回りしてやろうとしない
②相手が親であれ誰であれ嫌な気持ちになったらちゃんと正直に感じる
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③祖母への怒りを徹底的に洗い出す
→私にとって祖母は、祖母みたいな人に会った時に敏感体質な自分がどれだけ苦しんでいるかを知るためなのかもしれない
→自分の感情じゃない感情に同調しない、「これは私の感情じゃない」と区別した上で共感だけする、自分の感情が普段どれだけ自分でなく外にいってしまってるかを感じて回収する(イメージワーク)、自分の行動言動をノートに書いて感情を振り返り本当の自分を再確認する
→今年に入った時、「2024年やり切ったなー」「だいぶ浄化したなー」と思えたんだけど、それと同時に「もう自分の人生やることないんじゃないか」という意識になってしまってたかも…。「それは違う!そんなのダメ!」と知らせるために、めちゃくちゃモヤモヤしてたのかも
→あと、たぶん祖母は、自分が何かに気づくために生まれてきたのではなく、周りの人に何かを気づかせるために生まれてきたのかもしれない
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④自分の意識に嘘をつかない
⑤ネガティブな感情から、「社会性と周りの目を気にして本音が言えない自分」「自分の評価じゃなくて周りの評価ばかりを気にして怯えている自分」を見つけ出す
⑥自分の思考への理解と共感を示し、他者に話す勇気を持つ
⑦本当の自分に出会う、本当の自分になる、本当の自分を偽らない、いい人になろうとしない、ドス黒い自分も自分だと認めて愛する
⑧王子の言い分、姫の言い分、どちらか一方に偏らないで、もっと2人に言い合いをさせる
⑨競技や親を言い訳にして、本当にやりたかった心の友達作りとパートナー作りから逃げない
⑩自分の人生とちゃんと向き合う、自分の人生や内面とちゃんと向き合いたいという気持ちに素直になる、一緒にがんばる仲間がほしいという気持ちに素直になる、がんばったこととか成長したこととか報告したいという気持ちに素直になる、その相手は(今のところ)👨だということに素直になってその気持ちに従う、まずは👨に頑張ったこととか逆にできなかったこととか伝えて解放していく
→自分に本音を隠すから虚しい人間関係しか築けない過去の自分からの脱却
→私が🎾に対して自分の気持ちが残っている限り100%を振り絞って向き合ってるんだから、同じように🎾に100%の気持ちで向き合ってる人としか🎾したくない
→いいショットが打てた時に「容赦ないね~」みたいに言われるのも意味わかんないし、手加減されるのも意味わかんないし、向き合いたくないから自分より弱い人としかやらない人とかも御免!
→👨はアドバイスしてくれる時はちゃんと🎾とも私とも向き合ってる時だからアドバイスしてくれるのは嬉しい、でも他の人はただ見てるだけだからアドバイスできるとか、本気でやってないからアドバイスできるとか、そういう人のアドバイスはいらない!
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⑪競技から逃げない、上達の上限までやる、競技を通して自分を存分に表現する、競技を通して本来の自分でない観念を手放して本来の自分に戻る
→今のままの自分でいいという自信が持てない、共感してくれる優秀な友達を作りたいから自分のプレーがどう思われているかが気になって気になって周りの目を気にしすぎてしまっている、でも心で繋がれる友達がほしいからプレーばかりを極めても本末転倒、幸せになりきることへの罪悪感、集団社会の中で生きていくためにそれなりの成績で抑えておかないとという意識、自分を表現しきれない、「まぁまぁ結果残せたしこれでいいじゃん、満足でしょ?」と表現することをやめようとする意識、自分のことを上手いと思ったら幸せになってしまうから満足しちゃダメという意識、自分だけ人生を上手くいかせるのは申し訳ないからみんなにアドバイスしてみんなも人生を上手くいくようにしようって他人のことばかり考える意識
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⑫自分自身が自分の最大の友達になる
→誰かに共感してほしいことを自分自身に話しかける
友達に持っていてほしい要素(自分自身の中で好きなところ)を自分自身に語りかける
→「友達がほしい」と思う時ほど聞いてほしいことを自分に話す
くだらなくたって何でもいい
最初箇条書きにしてたけど語り口調にする
→🎾の練習相手について、なぜ今周りにいる人だと嫌で、本当はどんな人と練習したいのかがわかったけど、もっともっと掘り下げて、もっともっと理想的な練習環境を見つける
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⑬今楽しめてない原因を理解する、今の中で楽しめてることとかその理由を見つける、楽しいものを増やしていく
→私は人生の一部分を楽しめてない時に友達がほしくなって人生が虚しくなる
→🎾で肩の力が抜けない理由もたぶんこれ
◆🎾で楽しめてない理由
・祖母みたいなおばさんがいるから
・🎾界に祖母みたいなおばさんがいることで、🎾で一緒に練習することが全員鬱陶しく感じる(初めて会う人も祖母みたいなタイプじゃないかと恐怖を感じる)から
・楽しめてないから友達を探そうとして、友達を探すためには上手くならなきゃと思って(上手くなったら質のいい友達ができるだろうと思って)、どんどんどんどん視点が自分から周りに移ってしまったから(まずは「楽しくない」をしっかり感じる必要がある)
・練習相手に気を遣うのがだるい
→2人でラーメン屋行けるくらい好きな相手じゃないと練習やったってつまんない!(この後2人でご飯行く?YES/NOのコマンドがあってそれでYESを押せる相手としかやったってつまんない:ご飯どうですか?って言われて行くんじゃなくて、自分でYESを押すかどうか)
→あと男子と女子じゃ戦い方が違うから一緒に練習するのはなかなか合いづらいと思う(男子に必要なのは登り詰めるための意地とプライド、女子に必要なのは自分に正直になること)
・バックの時にボールとの距離が近くなるから思いっきり振れなくてつまらない(今までバックのこと指摘されまくってたのも、「自分がダメ」じゃなくて、「表現できてないね」って意味かもね、言い方はだいぶ失礼だから前向きには捉えられなくて当然だけど)
→バックハンドは、周りからの指摘を使って「お前やっぱりできてないんだよ」って自分の意識が自分を責めるし、バック練習しろって言われてそれに従うから今まで楽しかった練習が全然できなくなるし!そんなんだから嫌い!全然楽しくない!って内側が言ってるけど、そりゃそうだよな…って感じ
→あと、今の状態じゃ、上達したり何か成績を残しても、「練習頑張ったから」って思われそうだから、「全然そんなこと思われたくない!」って言ってる、自分の感覚を大事にしてきたから上手くなった、🎾でのあれこれが上手く進むようになったんだよね、「自分の内側の心の相方と会話してたから上手くいったんだよね!」って言ってあげる
◆🎾で好きなところ
・ラケットを思いっきり振れるところ
・ボールを扱っているという感覚、ボールが弾む感覚、音
・でもショットを褒められるよりも足の速さ褒められる方が嬉しい!
・自分の瞬間的な足の速さや反射神経が出せるところ
・陸上競技みたいにまっすぐ走るだけじゃなくて、高校生の時やってたフットワーク練習みたいに、いろんな動きを一度にたくさん試せる方が好き
・これから、心の相方と一緒にどこまでいけるのか、どこまで🎾人生を快適にできるのか試してみたい
・今まで人に指摘されたら本来自分がやりたかった練習をやめて人に指示された練習をやってしまうからつまらなかった、これからは指摘された時のイライラを感じつつ、練習では自分がやりたい練習をやる!
———
⑭「楽しい」は自分の内側にしかない!他人と一緒にいる時間を楽しめない自分を責めたり、エンタメや友達探しをするんじゃなくて自分の内側に触れよう!
⑮常に「自分のためであること」「自分が楽しめること」を選択する!(「やった方がいい気がすること」という基準で選ばない!)
⑯心の相方と会話している時間を「何もしてない時間」「無駄な時間」「他のことしなきゃダメ!」って思うのをやめる。ただ、1月7日時点では、1時間ならいいけどこれで1日終わるのは不安がある。
◆自分の🎾に対する考え
・私は別に毎日🎾がやりたいわけじゃない
・2日に1回とか週3くらいでいい
・ただ、🎾を通して自分のことを知って、自分の中の矛盾を解消して、本当の自分になりたい
・試合で勝つとかそれだけじゃなくて、なぜ今までスポーツから逃げてしまったのか、どれだけ自己否定してたか、どれだけ人目を気にしてたか、人との繋がりを拒否してきたか、それによって今までどれだけ苦しんで人生を上手く進められなかったか、そういう自分の思考の癖を知って、自分の人生をよくすることに繋げたい
・別に苦しい必要はないけど、🎾を自分が向き合わなきゃいけない問題から逃げるために使ったり、人を嘲笑うために使ったり、🎾をしながら見つけた自分の精神的な問題から目を逸らすために自分に嘘をついたり…、そうじゃなくて、ちゃんと「精神の修行(自分との向き合い)」をしている人と仲良くなりたい
・私にとって🎾は、自分の中にある「自分を生きづらくしている価値観や思い込み」を見つけるためのツールであり、それ以上でもそれ以下でもない