女性性と男性性をもっと喧嘩させる(2024/12/30)
※このブログでは、自分の中の女性性のことを「姫」、自分の中の男性性のことを「王子」と呼んでいます。
みちよさんの動画を観てて気づいたんだけど
今の私、
自分の本心に従って生きるようになってから、そうじゃない人との話が合わなくなったり関わるのがしんどくなったってところまではいいとして
同じように自分の本心に従っている人と出会うには、自分がちゃんとそうなることと、自分がそういう人間だと知られてもいいって思う必要があるのと、人間関係を変えていく勇気が必要なのに
今の人間関係のままで、私は変わらず、周りに変わってほしいって依存してる
👨に対して、自分の思ってることをネガティブなことも含めて素直に伝えられるし、精神的な成長を報告できるし、
👨自身も自分に正直に生きてるし
今の人間関係の中にも理想的な人がいるんだからって👨に執着してた
でも👨以外にも人間関係は作らなきゃいけないわけで…
友達との関係構築を理想的なものにするために、自分にもっともっともっと正直に生きなきゃなぁ…
でも、🎾の人間関係って本当にどこも窮屈
ネガティブな感情を感じちゃいけない、そんなことしたら誰ともできなくなるよってオーラを感じる…(勝手に思ってるだけかもしれないけど)
本当に、誰とやっても楽しくない…
いつも朝起きた時、すっごい「起きたくないっ…!」ってなってたんだけど
本当は王子は「早く起きてやることやらなきゃだぞ!!!」って思ってたんだけど
最近の私は「起きたくない…苦しい…」に振り切りすぎて、王子の言い分を聞けてなかった
もちろん、「やりたくない、起きたくない」を聞き逃してはいけないんだけど
王子の言い分も聞いた後の方がしんどさが軽減された気がする
あれ?
ふと、上の動画のコメント欄見てて思ったんだけど
精神的な話ができる友達がほしいって思いながら、そういう場所に行くことを今まで完全に避けてたな…?
そういう場所にいる人ってより一層葛藤が多いからとかもあるけど
精神世界と向き合うことは素敵なことなのに、精神世界と向き合うための場にいる人のことは「現実逃避してる」みたいなイメージを持ってるな…🤔
なんか、ジュエリーとかタロットカードとか
そういうのに頼ろうって思ってないし
頼ってるって思われたくないんだよな
推し活も、自分のためにやってるのに
🎾でコーチに差し入れすることを生き甲斐みたいにしてる人と一緒にされたくない
私は推しの音楽が好きだから聴きに行ってるだけなのに、って思う
貢いでるみたいに言われたくない
周りの目を気にしすぎなんだろうけど
だからスピリチュアルセミナーや交流会にも足を運ばなかった
友達とどんな話がしたいのか?
パートナーとどんな話がしたいのか?
もっともっと自分を知らないとダメだな
今の人間関係も、自分を知るため、心地よくするために利用する
今の人間関係のどこが嫌なのか?
自分の心の在り方で、今の人間関係とリンクしていることはないか?
じゃあどんな人間関係を築きたいか?
どんな話がしたいか?
そのためには自分の心の在り方をどう変えられそうか?
どんな関係を築きたいか、を考えた時に
具体的な像が出てこなくて…
なんとなく今まで、周りが、私が心地いいと思う環境をなんとなく作ってくれることを期待してただけな気がしてきた
人間関係において受動的すぎたのかも
・「自分はどうなりたいのか」という像に向かって研磨していける関係
・今はまだ全然自分のゴールに辿り着いてないのに(特に🎾において)今の状態だけを見て判断されるのがムカつく、今の私を認めつつ、成長することも前提に見守っててほしい
・若いうちに考えてやっとかないとおじさんになった時に後悔したままどんどん衰えていくだけになるのはわかるけど、「やってるから!超考えてやってるから!ほっといてよ」って感じ
・もうほんと、「ほっといてよ」これに尽きる…
もしかして本当は友達がほしいわけじゃない…?
今の私が友達やパートナーに伝えたいこと、もちろんたまに👨に前向きな話もするけど、本当は「ほっといてほしいのに知らない人が無駄に絡んでくることに対する怒りとそれにどう対処するか」って話な気がする…
みんなが適度にほっといてくれたら、こんな会話をする必要はない気がする…???
ダメだ、また虚しい
虚しい虚しい虚しい
うるさい人しかいない、虚しい
姫と王子のバランスが取れてないんだろうけど…
冷静になれない
私は🎾で一緒に練習できる人がほしい
なのに、私のことを評価しようとしたりチロチロ周りをうろつくような人しかいない
頑張ってる、頑張ろうとしているのを水差してくるような人はいなくなってほしい
そっと見守っててくれる人、一緒に頑張ってくれる人と出会いたい
でも、自分の人生に専念しないで私の人生に無理矢理関わろうとしてくる人、
そういう人がいなくなったら、ちょっと寂しいと思ってる?
自分の人生に集中している人だけの世の中になることを想像できてない?
好きな人とは関わる、好きじゃない人とは関わらないって人を区別することへの罪悪感がある?
いろいろ悩みすぎて
他人の評価に捉われない重要性を教えてくれる動画に出会った
私は今まで散々虚しい人間関係ばかり築いてきたし
だからもうそんなのは必要ない、必要ないって自分でわかりきってる、って思ってたけど
「友達がいないって虚しい」って今でもずっと思ってたのかも。
まずはこう思ってることに気づいてそれを認めてあげないとだ。
友達がほしいのにできないことよりも、友達をほしいって思ってることに気づいてないことの方がもっと虚しいよね。
私、今まで
保育園の時からずっと、本心を家族にも友達にも打ち明けられなくて
同級生ってなんでこんなに話合わないんだろうって思ってたし
その時にすでに、「心の友達を作ること」と「心の友達を作りたいと思うこと」を諦めてた気がする
でも本当は、ずっとずっと本心を話せる友達、特にドス黒いことを話せる友達がほしかったんだと思う。
5歳の時から。
だから今になってもずっと、妄想の中ではずっと誰かに対して本心を話してる。
だからKが、結婚式のことで👨の意見を否定したことが許せなかった
私は👨の素直なドス黒い意見が好きだったから
「私は結婚のご祝儀は手切れ金だと思ってるよ」って言いたかった
まずはちゃんと「私は、5歳の時に諦めてしまってたけど、本心、特にドス黒い本音を何でも打ち明けられる友達がほしいと思ってる」ってことを認めないと。
🎾関係なしに、そういう友達がほしいと思ってることを認めなきゃ。
ほしいと思ったのに手に入らなかったら虚しいからと、私の王子は姫に、「友達をほしいと思うこと」を禁じた。
そして、本当に理想的な友達に出会えたと感じても「あそこがダメ」「ここがダメ」「どうせ上手くいかないから」と、姫に喜ぶことを禁じた
「友達は必要ない」「友達がいない方が得が高い」などの動画ばかりを目に入れるようにした
でも、今日になってやっと違和感を感じることができた
今まではそういう動画を観て自分を納得させてた
でも、それこそが虚しさの原因だったんだ
・理想の友達はできないと思うこと
・友達ができてもどうせ完璧じゃないと思うこと
・だから友達なんかいらないと思うこと
・友達がいないから、守ってくれる人がいないから、変なおじさんおばさんに絡まれることも仕方ないと思うこと
あと、パートナーのことも
「パートナーができたら年末年始2人で過ごしたいって思うよな…」
「でもそんなことしたら親が悲しむよな…」
って、
パートナーを作ることは悪いこと
親を悲しませる
できたとしても言えない
親を1人にしておけない
って自分のやりたいことや課題から親を言い訳にして逃げてた
🎾にどんなに熱中してても虚しいという感情から
・心の友なんてできないんだから諦めた方がいいと思ってたこと
・パートナーを作ることは年末年始などで親を悲しませることになるんだから悪いことだ
など、自分を制限してたことに気づいた
あぁ、苦しい
こうやって何か自分の中のブロックみたいなものを見つけるとすぐ
ブロック外さなきゃ!!外したい!!こんなのいらない!!!
ってなるのは、それだけ今まで苦しかったってことだよね。
私が今も昔もずーっと求めてきたことは、たぶん自分の思考への他者からの共感と理解。
🎾やってても、プレーだけじゃなくて、「あの人こういう心持ちだからそりゃ試合で勝てないよね」「あの人こういう性格だから一緒にいてもつまんないんだよね」ってことがたっっっっくさんある。
こういう風に思うことを、理解して共感を示してほしい。
でも、👨にも言えてないこともたくさんある。
理解してほしいのに、「でもまだあの人に練習で楽に勝てるわけじゃないしな…」って、「自分はそんなことを思っていい存在じゃない」って否定してる
ネガティブな感情から、「社会性と周りの目を気にして本音が言えない自分」「自分の評価じゃなくて周りの評価ばかりを気にして怯えている自分」を見つけ出す
◆いつまでも虚しい人間関係しか築けないのは、自分が自分自身に本音を打ち明けてないから
◆「自分の本音を隠して周りの目や意見に気を配り続ける」と、どんなに何かを頑張っても、上手くいかなったり、物事は上手くいったとしても、自分が自分自身に対して本音を話さなかったらいつまで経っても虚しい
◆このことを理解するために、一度は自分の本音を隠さざるを得ない期間が必要
◆だから、人生の中には、自分のエネルギーの使い方が上手くいかなかったり、その結果自分の本心に嘘をつくようになる期間が存在する
◆自分の本音に正直に生きていたとしても、その本音に対して自分自身が寄り添うのではなく、周りに寄り添ってもらおうとするようなエネルギーの使い方だと、周りからは揶揄されてしまうことがある
◆まずは、どんな人と会話がしたいかじゃなくて、自分自身と本音で会話ができるようにならないとダメだ
◆「この人のこと嫌い」という気持ちに正直にならないとダメだ
◆「この人のこと嫌い」「だからこの場所には行かない」ということは、周りに聞いてほしいんじゃなくて自分の中の男性性に聞いてほしいこと
「もうこの場所には行かないんだから○○さんにこう伝えなきゃ><」「もう行かないって早めに言わなきゃ><」っていうのは自分の中の女性性を見ているようで、実は自分の中の男性性は周りのことばかり気にしてる
ただ嫌い、だから行かない、それだけでいい
どう対処しようかとかどう伝えようかとかそんなことは考えなくていい
ただただ自分の中の女性性に「行きたくないよね、そうだよね」と、女性性の感じたことを見てあげるだけでいい
言語化しなくていい
でも男性性はすぐ言語化したがる
女性性の言っていることを他の人に伝える妄想をするけど、それは自分の中の女性性じゃなくて他の人を見てることと同じ
◆何をやるかも、今まだやることが残ってるのに、やることがなくなりそうになった段階で男性性は次を見てしまう
今やっていることに対して女性性がどう感じているかを見ていない
終わってから、何をやりたいかを女性性に聞けばいいのに、何もなくなってしまうんじゃないかと恐れてる
◆男性性の言い分と女性性の言い分をどちらも100%引き出して喧嘩させる
◆誰かと仲良くなりたいと思った時、周りにどう思われようともその気持ちに一直線に進む
人間関係全般、やりたいようにやる
それができない時は、男性性の言い分を聞きつつ、女性性と男性性をしっかり会話させる
人生でやり残したこと、これからやらなきゃいけないこと
・競技から逃げない、上達の上限までやる、競技を通して本来の自分でない観念を手放して本来の自分に戻る(人の目を気にしすぎているなど本来の自分からズレている点を見つける)
・競技を通して、心の底から尊敬できて気を許せる友達を作る、自分の本心に従って生きている人と友達になって心を開き合う
・競技や親を言い訳にして、本当にやりたかった心の友達作りとパートナー作りから逃げない