心で繋がりたいのに、技術や成果で人に認められようとしてしまう(2025/1/4)
※このブログでは、自分の中の女性性のことを「姫」、自分の中の男性性のことを「王子」と呼んでいます。
できなくたって上手くならなくたって楽しくやろうよ〜という姫を
できるようになった方が楽しめるだろ
それに私はもっと打てるだろ
そもそも今できないから全然楽しめてないのにどう楽しめって言うんだよ
この前優勝したっていう実績に恥じないくらいもっとちゃんと打てるようになれよと言ってねじ伏せる王子…
ちょっと今王子が強すぎるし、私も王子に従いすぎた。
姫の本心を知ることも魂の成長の一環だし、もうちょっと姫と王子に喧嘩させようか。
姫が言う「🎾楽しい」ってどういう状態を指すんだろう…?
差し入れおばさんの言う「怪我なく楽しくね♡」って、現実から逃げてるだけにしか見えなくてお金の無駄遣いだし全然共感できないし、姫が思う🎾の楽しみ方ってたぶん違うと思うんだけど…
姫の言う「楽しくスポーツする」は、自分を表現することらしい
王子は「下手だと難しい球に対して上手く自分を表現できないんだから上手くなるしかないんだよ!!自分を表現するためにも!!」って言うんだけど、たぶん姫は、今の上手く打てない自分も認めてそれすらも表現したいんだよね
上手くできないことでも表現するって、なんだ?
でも、歌とかはさ、まぁ人と場所は選ぶけど、下手でも歌いたくなったら歌ってるし、それで声出ないことを心配しても自分を責めたりはしないなーと。
歌いたくなる頻度がそんなに多くないのと無理して歌わなくていいって思ってるからあれなんだけども
でも🎾は1人打ちでも誰も見てなくても上手くできなかったら割と自分を責めてるんだよなー…
私はこれくらい打てるだろ!そんなんじゃ自分を表現できない!と。
1人打ちの最中でも、レッスンや試合など人に見られることを意識してるからかなぁ
人にバカにされないようにってことかなぁ
姫が下手でもなんでも自分を表現しようとしているところを王子が「そんなんじゃダメだ!」って水を差すのは、周りの目が気になるから?
思えば別に歌も人に披露する予定がないから自分を責めないだけかもしれないし
侮辱しないってわかってる親の前でしか歌わないし
みちよさんの男性性女性性に関する動画より
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かっこよくなきゃいけないという刷り込みがすごいから
あと責任感の刷り込みがすごい
「私がこういう人間でなきゃ、こういうことを果たさなきゃ、愛されないし愛される価値がない」という責任感
褒められる=愛される という方程式だと勘違いしているから(親からの態度による)
責任を果たして褒められて愛されて繋がりを感じたいから
今まで取りっぱぐれた努力を取り返すために努力してさらに取りっぱぐれる
女性性はそもそも女性性と男性性の白黒をなくすこと、どっちでもいいと思うこと
仕事も楽しみたい!パートナーシップも楽しみたい!趣味も楽しみたい!というマルチにいろんな分野で楽しめる性
あらゆることをやって好きに生きて感性を開くことが大事
え、じゃあ仕事での成功を頑張っちゃいけないの!?じゃない
仕事もプライベートもどっちも楽しむ
そもそも、今の社会はまだまだ男性性社会だから、上を目指すとか成果を出すみたいなことは必要っちゃ必要
ただその裏で自分の感性を発揮できる場を持つことが大事
男性性を発揮する場を持ちつつ、今世の目的である女性性を発揮する場を持ち、男性性と女性性のバランスを保つ
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↓
上手くなって、自分が共感できる人(尊敬できる人)と繋がりたいから、上手くなりたいんだ
ここまで気づいた瞬間、「私は女性性を鍛えなきゃいけないのにスポーツなんて男性性が鍛えられそうなことするなんて本当なんてことしてくれてんだよ!!Kさんの娘さんのAちゃんみたいに目標とかなくただドラマ観ながらぽわ~ってしてるのが一番いいんだよ!!!」って本気でブチ切れてて…😅😅😅
一瞬真に受けそうになったけど、私にとって「自分を表現する」に適したのがスポーツだっただけだし、🎾をやってたおかげで自分を幸せにする手段を見つけられるわけだし、何より👨に出会えたわけだし、いいことはたくさんあったよね
あと、本当は心からの友達ができない理由、上手くないからじゃなくて、心を開いてないからって本心ではわかってるんじゃないの?っていう…
もちろんいろいろ厄介な人とか友達になりたくない人とかいるから心を開ききれないのは仕方ないけど、友達を作ろうとしてるのに自分の価値観とか人間性を全然見せないじゃん
🎾のレベルじゃなくて考え方が一致してるかで仲良くなれる人を見極めたいのに、なんなら一緒に練習することだけが目的じゃなくて話すことが目的なのに、🎾のレベルだけしか見せてないしそれで友達作ろうとしてるよね
もっと自分の🎾に対する考えを人に話した方がいいんだろうなぁ
昨日気づいた、「👨に何をしてもらったかで愛情と自分の価値を図ろうとする」のも、男性性のやり方らしい
今日も歴聞かれて「じゃあ大丈夫だね」って言われたのも、明日の練習誘われなかったのも(まぁ2人しかいなかったから正式な練習じゃないんだろうけど)、「あー私まだダメなんだなー」「こんなんじゃ自分の考えに共感してくれるだけのスキルがある人に共感してもらえない、だから誰とも繋がれないなー」ってなって、だから貶してるんだね…。
姫も王子も考えてることは一緒。共感し合いたい、心から繋がりたい
そのために自分の心を殴って、結局愛や繋がりから遠のいてる
まずは自分が🎾を通して心からの友達がほしいと本気で本気で思っていること、そして今の自分にはその能力がないというか、こんなレベルじゃそんな友達できるわけないと殴ってること、そしてさらにそれによってどんどんまた自信(🎾のスキルじゃなくて心からの友達ができること、🎾繋がりの心からの友達から愛される自信)がなくなっていっているということ
🎾が上手くなりたいんじゃなくて、🎾を通じて心から繋がりあった友達がほしい
🎾のスキルに自信がないんじゃなくて、🎾を通じて誰かと心から繋がりあえる自信がない
まずは自分自身が🎾のことで自分としっかり繋がり合わないと進まないよね
ここまで気づいて、一瞬「もう本当にその時々でやりたいことをやっていいんだ」って思えて嬉しくなったのに
自己否定してた自分に対する自己否定が発生してまた自己否定が止まらない😢
苦しい時って、自己否定してたり、自己否定が原因で自分よりも他人を優先してしまうから苦しいんだけど、そこを他人に指摘されるのがもっともっと苦しいんだよね
元気になってほしいという他者の意識を感じる→自己否定をやめることが一番難しいからしばらく苦しい状況が続いてもおかしくないのに元気なトーンで会話をしなきゃいけない、相手の言い分を「そうですね、あなたの言ってること正しいですよ合ってますよ」って言わなきゃいけないという、地獄
だから私は自己否定やめなとか自分に厳しくしないようにしなとか他人じゃなくて自分のこと考えなって言うのやめよって思った
「季節の変わり目なのでご自愛ください」って言うのとはわけが違う
本当につらい時に自分を優先できないなんてその人にそうせざるを得ない理由があるんだから
そしてそれを他人が指摘することによって今度は「なんで私ってこんな簡単なこと、やらなきゃいけないことができないんだろう」って否定するし
自分がつらい時にも自分に厳しくする人とか他人のこと考える人にとっては、自分が幸せになる方法を他人に指摘されることは、自分が幸せなることすらも他人のためになってしまうんだよ
あと、今まで心の友達がほしいのに、心の友達を作るために🎾の能力上げようとしてて、だから周りも「私が🎾でどこが弱いか」の話しかしなくて、自分の🎾に対する向き合い方もほとんど人に話さず、そんなやり方してたらそりゃめちゃくちゃ寂しいし苦しいよねって思ったら、なんかその自分の悲しさに共感して苦しい、という
あと、今日の練習相手が今一番一緒に頑張れる人なんだけど、(会うの2回目)
滑舌が鬼悪いことに気づいて、一緒に練習したり会話するのがしんどくなってきた
そしてそれを自分の中で「そんなこと思っちゃいけない」ってひた隠しにしてた
でも滑舌悪い人と話すのくそしんどいんだよ
何より聞き返したら声を大きくしたりゆっくり話したりしてほしいのに話し方変えないって時点で丁寧さを感じないから嫌
◆自分の🎾に対する考え
・私は別に毎日🎾がやりたいわけじゃない
・2日に1回とか週3くらいでいい
・ただ、🎾を通して自分のことを知って、自分の中の矛盾を解消して、本当の自分になりたい
・試合で勝つとかそれだけじゃなくて、なぜ今までスポーツから逃げてしまったのか、どれだけ自己否定してたか、どれだけ人目を気にしてたか、人との繋がりを拒否してきたか、それによって今までどれだけ苦しんで人生を上手く進められなかったか、そういう自分の思考の癖を知って、自分の人生をよくすることに繋げたい
・別に苦しい必要はないけど、🎾を自分が向き合わなきゃいけない問題から逃げるために使ったり、人を嘲笑うために使ったり、🎾をしながら見つけた自分の精神的な問題から目を逸らすために自分に嘘をついたり…、そうじゃなくて、ちゃんと「精神の修行(自分との向き合い)」をしている人と仲良くなりたい
・私にとって🎾は、自分の中にある「自分を生きづらくしている価値観や思い込み」を見つけるためのツールであり、それ以上でもそれ以下でもない
◆2025年の展望
・引き続き親をはじめいろんな人に遠慮しない、嫌な気持ちになったらちゃんと正直に感じる
・まずは祖母への怒りを徹底的に洗い出す
→私にとって祖母は、祖母みたいな人に会った時に敏感体質な自分がどれだけ苦しんでいるかを知るためなのかもしれない
→自分の感情じゃない感情に同調しない、「これは私の感情じゃない」と区別した上で共感だけする、自分の感情が普段どれだけ自分でなく外にいってしまってるかを感じて回収する(イメージワーク)、自分の行動言動をノートに書いて感情を振り返り本当の自分を再確認する
→今年に入った時、「2024年やり切ったなー」「だいぶ浄化したなー」と思えたんだけど、それと同時に「もう自分の人生やることないんじゃないか」という意識になってしまってたかも…。「それは違う!そんなのダメ!」と知らせるために、めちゃくちゃモヤモヤしてたのかも
・🎾で自分に自信が持ててない部分がまだまだあるというか…、「人にドヤるぞ!」みたいな自信じゃなくて、「私はこのままでいい」っていう確信を持てるようになるまで自分の自信のなさ、認めてなさを見る
・1人打ちの時もレッスン中も試合中も、「私は周りからどう思われているんだろうか」「下手だと思われてないだろうか」という不安がめちゃくちゃあるということを自覚して掘り下げて掘り下げる、あと1人打ちの時は「他の人と練習しなって言われるんじゃないか」「迷惑がられてるだろうな」みたいな不安感や罪悪感も自覚する
・周りの目が気になる、幸せになりきることへの罪悪感、集団社会の中で生きていくためにそれなりの成績で抑えておかないとという意識、自分を表現しきれない、「まぁまぁ結果残せたしこれでいいじゃん、満足でしょ?」と表現することをやめようとする意識がある
→🎾のことで自信が持てないのも、「自分のことを上手いと思ったら幸せになってしまうから満足しちゃダメ」っていう意識があるからな気がする、自分だけ人生を上手くいかせるのは申し訳ないからみんなにアドバイスしてみんなも人生を上手くいくようにしようって他人のことばかり考えてる
・🎾で肩の力が抜けない理由を見て、可能であれば改善する
・🎾の練習相手について、なぜ今周りにいる人だと嫌で、本当はどんな人と練習したいのかがわかったけど、もっともっと掘り下げて、もっともっと理想的な練習環境を見つける
→私が🎾に対して自分の気持ちが残っている限り100%を振り絞って向き合ってるんだから、同じように🎾に100%の気持ちで向き合ってる人としか🎾したくない
→いいショットが打てた時に「容赦ないね~」みたいに言われるのも意味わかんないし、手加減されるのも意味わかんないし、向き合いたくないから自分より弱い人としかやらない人とかも御免!
→👨はアドバイスしてくれる時はちゃんと🎾とも私とも向き合ってる時だからアドバイスしてくれるのは嬉しい、でも他の人はただ見てるだけだからアドバイスできるとか、本気でやってないからアドバイスできるとか、そういう人のアドバイスはいらない!
ネガティブな感情から、「社会性と周りの目を気にして本音が言えない自分」「自分の評価じゃなくて周りの評価ばかりを気にして怯えている自分」を見つけ出す
◆いつまでも虚しい人間関係しか築けないのは、自分が自分自身に本音を打ち明けてないから
◆「自分の本音を隠して周りの目や意見に気を配り続ける」と、どんなに何かを頑張っても、上手くいかなったり、物事は上手くいったとしても、自分が自分自身に対して本音を話さなかったらいつまで経っても虚しい
◆このことを理解するために、一度は自分の本音を隠さざるを得ない期間が必要
◆だから、人生の中には、自分のエネルギーの使い方が上手くいかなかったり、その結果自分の本心に嘘をつくようになる期間が存在する
◆自分の本音に正直に生きていたとしても、その本音に対して自分自身が寄り添うのではなく、周りに寄り添ってもらおうとするようなエネルギーの使い方だと、周りからは揶揄されてしまうことがある
◆まずは、どんな人と会話がしたいかじゃなくて、自分自身と本音で会話ができるようにならないとダメだ
◆「この人のこと嫌い」という気持ちに正直にならないとダメだ
◆「この人のこと嫌い」「だからこの場所には行かない」ということは、周りに聞いてほしいんじゃなくて自分の中の男性性に聞いてほしいこと
「もうこの場所には行かないんだから○○さんにこう伝えなきゃ><」「もう行かないって早めに言わなきゃ><」っていうのは自分の中の女性性を見ているようで、実は自分の中の男性性は周りのことばかり気にしてる
ただ嫌い、だから行かない、それだけでいい
どう対処しようかとかどう伝えようかとかそんなことは考えなくていい
ただただ自分の中の女性性に「行きたくないよね、そうだよね」と、女性性の感じたことを見てあげるだけでいい
言語化しなくていい
でも男性性はすぐ言語化したがる
女性性の言っていることを他の人に伝える妄想をするけど、それは自分の中の女性性じゃなくて他の人を見てることと同じ
◆何をやるかも、今まだやることが残ってるのに、やることがなくなりそうになった段階で男性性は次を見てしまう
今やっていることに対して女性性がどう感じているかを見ていない
終わってから、何をやりたいかを女性性に聞けばいいのに、何もなくなってしまうんじゃないかと恐れてる
◆男性性の言い分と女性性の言い分をどちらも100%引き出して喧嘩させる
◆誰かと仲良くなりたいと思った時、周りにどう思われようともその気持ちに一直線に進む
人間関係全般、やりたいようにやる
それができない時は、男性性の言い分を聞きつつ、女性性と男性性をしっかり会話させる
人生でやり残したこと、これからやらなきゃいけないこと
・競技から逃げない、上達の上限までやる、競技を通して自分を存分に表現する
・競技を通して本来の自分でない観念を手放して本来の自分に戻る(人の目を気にしすぎているなど本来の自分からズレている点を見つける)
★競技を通して、心の底から尊敬できて気を許せる友達を作る、自分の本心に従って生きている人と友達になって心を開き合う
★誰かと練習もしたいけど、1人打ちもがんばりたい。でも、「一緒に頑張る仲間」がほしい。今日1人打ちやったよーとか、明日試合がんばろうねーとか、そういうこと言える相手がほしい。お互いの技術やレベルを評価するような間柄じゃなくて、自分の人生の1つとして、自分の内面と向き合う道具として、🎾とも向き合ってる人と、一緒にがんばりたい
★一緒に頑張れる人と出会うまでの間👨に伝えていきたいこと→頑張ったこと、苦労したけど乗り越えたこと、精神的に成長できたこと、これから頑張りたいこと、今頑張ってること、上手くいったこと、楽しくできたこと、精神面での気づき
★🎾に関して、私が重きを置いているのは精神的な成長なんだから、周りが自分の🎾の技術を見てどう思うかに振り回されない!一切気にしない!周りがどう言おうと自分を貫く!無視!→私が私のままで、ありのままで価値があると思えないのはなぜなのかを徹底的に分析する
★歴とか体格とか考えないで、相談もしてないのに、「こうした方がいいよ」ってアドバイスするのはそりゃー簡単だよね。私だってプロの試合見てて「こうすればいいのに」って言うことくらいできる。そんな存在いらない。ほぼ引退したかのようなプレーしかできないおじさんなんかいらない。試合の結果見て褒めてもらうとかもいらない。お互いが自分と目標だけを見ていてその上で一緒に頑張れる存在しか練習相手としていらない。それを踏まえて練習相手を作るのか1人で頑張るのか👨との仲を深めるのか週3にするのか。でも今ちょっと寂しいし心細い…
→→→って思ってたけど、今までずっと、心からの友達を作る術が「🎾のスキルを上げること」になってた。一緒に練習することだけが心からの友達の条件ではないし、それよりももっとお互いの価値観を共有することが大事なのに、「🎾のスキルがまだまだだから私は友達を作るに値しない」と言って自分の価値観を誰にも共有しない・心を開かない。でも本当はスキルがないから友達を作れる自信がないんじゃなくて、新しく出会った人や仲良くなれそう人に対して心を開いてないから友達を作れる自信がないという本末転倒な状態…
→→→🎾のスキルじゃなくて、価値観で友達作りに挑む。「共感してもらえなかったら私が悪いんだ」じゃなくて、自分の価値観はブレずに、共鳴できそうな人と見つけるために使う。
・自分の思考への理解と共感を示し、他者に話す勇気を持つことが心の友達作りの第一歩
・競技や親を言い訳にして、本当にやりたかった心の友達作りとパートナー作りから逃げない
・本当の自分に出会う、本当の自分になる、本当の自分を偽らない、いい人になろうとしない、ドス黒い自分も自分だと認めて愛する
・自分の人生とちゃんと向き合う、自分の人生や内面とちゃんと向き合いたいという気持ちに素直になる、一緒にがんばる仲間がほしいという気持ちに素直になる、がんばったこととか成長したこととか報告したいという気持ちに素直になる、その相手は(今のところ)👨だということに素直になってその気持ちに従う、まずは👨に頑張ったこととか逆にできなかったこととか伝えて解放していく